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明治の防火計画 江戸大火を断ち切る

 前回の更新より随分と間が開きました。各種団体の総会月になりますので、怒涛の出張スケジュールです。今週末、来週末もスゴイ日程ですが、当社にとって重要な創立記念日(6月10日)、安全大会(6月24日)を挟みます。ご意見伺いに行っておきたい客先が多数あり、もやもやしています。

 先週末は客先協力会の親睦のため、視察旅行。スカイツリー視察~浅草泊まり~羽田空港視察、東京です。

 前日より東京出張なので、浅草のホテルより合流。早めに着いたので仲見世を散策がてら古本屋へ。

 明治の東京計画 藤森照信 1982 岩波書店 を購入。

明治の東京計画 (岩波現代文庫)明治の東京計画 (岩波現代文庫)
(2004/11/16)
藤森 照信

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 ・・・文庫も出ているようですね。まあ、ハードカバーで大判の古本でよいです。

第2章 江戸火事をこえて_明治一〇年台東京防火計画 この章立ての為だけに購入を決めたようなもの。

「熾る(※さかる)江戸火事」と書き出し、繰り返される江戸の大火がロンドンにも勝る江戸の都市計画の生みの親と評価しつつ、明治5年(1872)の大火が銀座煉瓦街を生み、大正大震災が今日の大東京のもとを築いたとする。そのなかで、幕府の大名火消し町火消しの消防制度、河岸倉・広小路など防火帯の配置、瓦葺・蔵造という防火建築の普及に努めていた。

・・・都市再生のサイクルとして、数年に一度は大火になって当たり前という覚悟がありました。この辺りは、今般の震災・津波に対する立場との違いが指摘されていますね。但し、明治新政府としては、繰り返す「再生のエネルギー」を前向きな富に向けたいとして、恒久的な防災の街づくりを提唱、実践していきます。

1)銀座煉瓦街計画(明治5)
 市街の欧風化を主目的とする計画になってしまったが、動機は防火にあった

2)神田福田町火事跡地計画(明治6)
 焼失跡地へ、府令により、表通りは蔵造による構造制限、裏通りは瓦葺による屋上制限を敷いたが、
 いかほど守られたかは不明

3)神田黒門町火事跡地計画(明治11)
 同上の建築制限

4)火災保険制度(同)
 大蔵省は東京中心地区へ、官庁による強制加入制度の導入を計ったが、立法にいたらず。14年に断念。

5)日本橋箔屋町火事跡地計画(明治13年)
 府は、煉瓦造倉庫による防火帯設置を軸に、道路拡大、運河新鑿を含む跡地再開発計画を立てるが、
 府会の反対により実現に至らない。

6)神田橋本町スラムクリアランス計画(明治14年)
 松枝町火事に焼かれた橋本町一帯は名高いスラム地区であったことから、府は、瓦葺による
 屋上制限と合わせ、スラムのクリアランスを立案し、同年実行する。

7)東京防火令(明治14年)
 府は、中心三区の主要街路および運河沿いの家屋への煉瓦・石・蔵造による路線防火制と、その他への
 瓦葺屋上制限の条例を発布し、それにかなわぬ既存家屋の改修を命じ、明治20年完了する。

・・・煉瓦街が大きな赤字を残して終わり、政府はこれを失敗と見て、割高な欧風化を切り捨て、地道に見えても確実に片付けなければならない防火計画一本にに的をしぼり、明治10年代に集中して片付けたと纏めます。


ちょっと長いですね。本書はこの章立てでもサワリだけ。計画ごとに図版もあり、労作です。文庫でよければ上記等で購入して下さい。(社員は閲覧できますよ、社長まで)

この件、近代化建築の挫折とも繋がります。江戸幕府による防火対策など、それぞれ別項にて。
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