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母校からアンケート集計を頂戴しました

11月22日、母校の進路に悩む2年生にと、「先輩と語る会」という企画にお呼ばれしましたと報告しましたね。27HR41名を受け持ったんですが、17歳の皆さんからの通信簿を頂戴しました。4項目のアンケートで9クラス分、他の先輩方の評価と一緒に。。。。

1 今回の先輩の話しから、あなたが得たものは何ですか。10点のうち3つ選んでください。
2 今後も続けたい企画ですか 良い・よくない・わからない
3 今後も先輩の話を聞く機会があればどのような話を聞きたいか 10点から一つ選択
4 先輩の話しから特に印象に残ったことは? 記述

おおよそ及第点を頂いたような評価でしょうか。ホッとしました。皆さん真剣に聞いてくれましたが、うれしいものですね。筆者は今回が初参加ですが、企画が始まった6年前から出ている先輩たちの素晴らしい講義内容などご努力の結果、「続けて欲しい」ということでしょうし、自分も先輩たちの実績に泥を塗らずに済んだということでしょう。いやはや。

↑↑↑ 設問4について、「人生いろいろあると思った」とか、「名古屋のマンホールって素晴らしい」とか、力を入れていない部分も印象に残ったようで、気を抜けないなあと。とりわけ「3週間を10日間にするには、あれをやめて、これを省くと15日になる。あと5日間寝なければできる」と言い放ったようで。ああ、質疑応答でそんなやりとりがありましたね。高校生、未来への漠然とした心配事があるようでしたが、お蔭でオジサン、普段はしない話しをさせていただきました。みんな聞き上手だっったなあ。アンケートをご送付いただいて、改めて楽しかったと思いました。27HRの皆さん、学校関係者様、同窓会の諸先輩方、本当にありがとうございました。よいお年(と進路選択)を。
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ローランドさん、電子楽器の世界標準化でグラミー賞

選挙戦の大詰めだった15日の記事です。

ローランド創業者に米グラミー賞(テクニカル賞) (2012/12/15 07:54) 静岡新聞


 ローランドは14日、創業者の梯郁太郎(かけはし・いくたろう)元社長(82)=現特別顧問=が、演奏データ通信の世界共通規格「MIDI」の制定に尽力したとして、米音楽界最高の栄誉「グラミー賞」のテクニカル賞を受賞したと発表した。音楽産業の発展に技術的な貢献をした個人や企業を表彰する賞で、過去にヤマハやソニーが受賞しているが、日本人個人では初。
 MIDIは異なるメーカーの電子楽器同士やコンピューターとのデータ送受信を可能にした規格で、1983年に発表された。当時、ローランドの社長だった梯さんは、電子楽器の世界シェアの多くを占めている国内メーカーなどにMIDIへの対応を呼び掛け、同規格の世界標準化を推進した。現在では世界の電子楽器のほとんどがMIDIに対応し、演奏や音楽制作などの場面で使われている。通信カラオケでもMIDIが採用されている。
 梯さんは「MIDIの発表から30年。その間に電子楽器が世界的に広く使われるようになった。MIDIがそのお役に立てたと思うと、大変感慨深い。電子楽器の発展という共通の目的で各メーカーが協力、努力したことが表彰に結びついた」とコメントした。受賞は米電子楽器メーカー、シーケンシャル・サーキット(1987年にヤマハが買収)のデイブ・スミス元社長と連名。グラミー賞授賞式は2月9、10日ロサンゼルスで行われる。

うれしいですね。
fujigen.gif fujigen-ct.gif GR-500(1978製)

ヤマハさん、河合楽器さんと楽器のまち浜松ですから。あとはプレイヤー人口が増えれば楽器屋さんも充実してくるのですが、やはり東京大阪に物色に行っています。ここ7・8年は新規購入なしですが。中古ビンテージ市場は大阪ミナミが回転が速くて安い気がしています。いずれにしろ浜松は楽器職人のまちということでしょう。国際ピアノコンクールを主催したりジャズウィークが定着して来たり、官民一体で運動していますね。中心市街地の活性化も重要なファクターになるのでしょう。元気で文化が薫るまち、浜松。になると善いなあ。

選挙に行かない、ってことないよね。まさか。

いよいよ来る16日、投開票ですね。

某巨大掲示板の まとめサイト からの孫引きです。感心しましたので。

29 :名無しさん@13周年:2012/11/16(金) 16:59:53 ID:8w1wkle30
日本の戦前戦中の選挙スローガン

●選ぶ人正しければ 選ばれる人正し(昭和二年)
●投票の一瞬は 国家の百年(昭和二年)
●国政は船のごとく 一票は櫂(かい)のごとし(昭和二年)
●善政も悪政も 一票から(昭和二年)
●裏も表も 明るい人を(昭和三年)
●軽く選ぶと 重い荷を負う(昭和三年)
●投票は 主義と主張を 聞いてから(昭和三年)
●投票買いの 良心売り(昭和三年)
●嫁と議員は 調べた上で(昭和五年)
●政治は 国民の色に染まる(昭和五年)
●政治の明暗 この一票(昭和十年)
●金で選ぶな 心で選べ(昭和十年)
●売るな魂 捨てるな一票(昭和十一年)
●義理は禁物 人物本位(昭和十四年)
●人をよく見て よく選べ(昭和十六年)
●国思う一票 国思う人に(昭和十七年)
●世界が見ている この選挙(昭和十七年)
 ヒロイモノ中毒様の記事より 

若い知り合いがいます。まだ若いのに、「いままでもどこが勝っても同じだから興味ないよ」って。おいおい、年寄のためだけの政策になっちまうよ。これ、本当に忙しい現役世代のはなし。3年前には親しい年寄りから「だめなら替えればイイじゃない、一回やらせてみよう」とワイドショーのコメンテーター(あの時はマスコミはこれ一色だったなぁ)のオウム返しでビックリしました。替えるのに3年かかったでしょ?その間、経済、外交、被災地復興、、、虫の息になっちまったぜい?そのテレビ漬けの年寄りは普天間迷走で総理が変わるころには「がっかりした、だまされた」と言っていたんだが。。

政治不信だなんだとここの所の論調でしたが、政治家がだましたのかマスコミがだましたのか、有権者のレベルが低いのか。上記を見るにつけ、敗戦後、ここまでグズグズになっているのかと憂うるわけです。

えっと、世論誘導、印象操作、すごいですよ。日頃から公共投資は悪であるとか毒電波が流れているのだが。デフレスパイラルから脱却しなきゃならんところを「ハイパーインフレが来るぞ!」とか。選挙戦の真っ最中に「絶対優勢」として、「大勝ちさせてはいけない」と投票行為まで誘導している記事まででる始末ですがね。これってアナウンス効果ってやつですよ。優勢とされる側も「陰謀では」と首をかしげるし、大苦戦の少数野党からも「選挙予測はやめてくれ」という記事が出ていましたよ。

選挙期間中は「誰かにだまされた」とならないように、自分でよく考えて投票行動をする。ベストな政策が見つからないのはしょうがない、ベターを選ぶ。こいつだけはマズイと思うのなら、否定票の意味でマシな方に入れる。落としたい奴の一票を相殺できる強力な一票ですよ。まあ、今回の選挙は関心が高いようなので(皆さん不満のはけ口の様子)、投票率が上がるとよいなと思っています。政治に関心が無くなる、投票率が下がるって、今現在の持てるモノの思うつぼのように感じます。有権者が監視をしているぞ、という姿勢で政治が良くなり、行政が良くなるのでしょう。投票しない輩が文句を言ってはいけないよ、と言っている理由です。政治は国民の色に染まる(昭和5年)です。

・・・選良って言葉も聞かなくなったね。

2012 忘年会の御礼

先週金曜日、前稿でチラッと触れましたが、弊社恒例の忘年会。お手柔らかにとは皆さんにもお伝えしておいたところですが、まあホストというか主犯みたいなものですから一次会から箸に触れず。エビチリ、食べたかったなあ。本当にご列席の皆さんと楽しいひと時はあっという間でしたね。寿司も出たらしいね。

ご来賓の皆様とはゆったりできなかったので2次会の席をご用意させていただきました。そこから3次会で半分になり、4次会は今年特に深くおつきあいさせていただいた2社さんとワインを飲んどりましたが、社員の皆さん、協力会の皆さん、いかがお過ごしでしたか。ここでようやくピザと生ハムサラダで元気になりましたよ。

いやはや、忘年会シーズンとはいえ、”来賓”として参加するディープな忘年会はあと2件。ほかは主賓がほかにいらっしゃるので軽く流せそうです。あ、このあたり書くと拙い気もします。

自分を鍛えた話しはこれくらいにして、毎年、元気がよくてご好評いただいている忘年会ですが、今年は特に皆様のご歓談の様子に明るさや力強さを感じました。弊社は勿論、ご参列の各社様も決して楽観できないキビシイ一年ではありましたが、長く暗いトンネルを抜けつつある兆しといいますか、あの陽性の賑わいはここ数年体験していなかったような気がします(当社比)。以下、ご来賓に宛てたお礼状。

ご来賓各位   御 礼

謹啓 歳末ご多忙の折、皆様におかれましては益々御健勝のこととお慶び申し上げます。平素はひとかたならぬ御愛顧を賜り、厚く御礼申し上げます。開宴に先立ち、三陸沖を震源に久方ぶりの大きな地震がありました件、アナウンスしましました。震度五程度では鈍感になってしまいましたが、現地では「3.11を思い出せ」という緊急TV放送と、避難車両の信号無視や割り込みによる大渋滞で「避難訓練とは何だったのか」との反省も早くも聞こえているようです。いつ来てもおかしくないと言われて何十年もたつ東海地震ですが、東南海と連動することが分かり、新たに広範囲で備えが叫ばれています。安心安全をキーワードにする我々の社会的使命が益々重要になってくることと思います。

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大日本報徳社の大改修工事

本日、当社と共栄会(協力会)共催の忘年会。昨日は某若者組の卒業式典&忘年会。今日に備えてセーブしなければいけなかったが見送られる側とあってはそうもいかず、最後までお付き合いしてきました。お名残惜しいですがね。ということであと2時間でスピーチ、乾杯になりますが、みなさんお手柔らかに。

さて集中して掛川袋井の近場案内をしてきましたが、一応の一区切り。日本初の公会堂ということで重文と相成った大日本報徳社。前稿の竹の丸から工事風景が見えます。
竹之丸より報徳

来春完成にむけて重文指定の大講堂のみならず、仰徳(こうとく)記念館、仰徳学寮、冀北(きほく)学舎も修繕の真っただ中。明治17年に建てられた有栖川宮邸の一部を昭和初期に下賜され移築されたり貴重な建物ですから今から楽しみにしています。
この夏には曳家工法が近隣住民の話題になりました。
報徳曳家1
報徳曳家2

これらの建造物群に加えて淡山翁記念 報徳図書館(昭和2年)も当時の特徴がよく出ていて大好きな建物。今回修繕中の建物も含めて、くまなく視察させていただきましたが、この図書館だけまだ中に入っていませんので、完成した暁には図書館探訪も含めてお願いしてみよう。あとはこの図書館の写真だけ貼っていきます。

報徳図書館 入口

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紅葉の竹の丸 掛川文化財住宅

竹之丸増築 正面 竹の丸 大正時代増築部分


ええ、年末進行やら何やらですが、掛川をあと2本だけUPさせてください。
掛川城周りは観光資源が一杯です。観光ベースの情報は掛川市指定有形文化財 竹の丸をご参照ください。明治大正の近代建築好きにはたまらない、ひたすら好きな写真を張っていきます。

竹之丸式台玄関
武家の様式 式台玄関 商人であるが武家から養子できたので、ここにプライドを見せる。

竹之丸貴賓室ステンド 
離れ 大正時代の増築。2階貴賓室から庭園の紅葉。ステンドグラス。

竹之丸貴賓室 床
貴賓室の床 床材はどこから貼り始めたのでしょう。

竹之丸より天守閣
貴賓室からは掛川城天守閣も望めますが、建築当初は石垣しか見えませんでした。

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遠州三山のうち 目の霊山

油山寺めめめめ 目の霊山 油山寺

 可睡斎護国塔、建築家伊東忠太研究のご縁で随分通いましたが、近隣の油山寺、お団子で有名な法多山と、袋井の大刹は遠州三山と呼ばれています。絵馬や奉納扁額などアート作品として愛好していますので、時間があれば立ち寄る場所が油山寺。

油山寺装束絵馬
油山寺目
油山寺め
油山寺山門
山門は掛川城から移築された文化財

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ノンビリ掛川の将門首塚

一九首塚
平将門 十九首塚(じゅうくしょづか)

 平将門。神田明神の祭神として江戸っ子の守りでも知られています。首塚は東京大手町が有名ですね。実は掛川にもあるんです。首塚。掛川の地名の由来の”一説”にもなっています。天慶の乱(940年ごろ)、関東一円八か国を制覇した平将門が征討軍である叔父の平貞盛や藤原秀郷らに討たれます。秀郷は将門と18人の家臣の首級を京で検視するための途上で宿場の掛川に立ち寄る。一方で京よりの勅使が「賊人を禁裏に近づけてはならない」と、この地 十九首(じゅうくしょ・地名)で検死される。首級を洗った川が血洗い川、橋の欄干に首級を晒したので、首を掛けた川⇒掛川との説。

 秀郷は「罪人とはいえ今や滅びて無し、その屍に鞭打つは非道なり」と地元住民と十九の首級をそれぞれ埋葬してねんごろに弔う。十九か所の塚とのいわれで地名も十九所(読みは同じ じゅうくしょ)であったとも。近年になって開発により将門のものと思われる大きな塚を残すのみとなっていたので、平成13年に改めて家臣18人の供養塔を建立し懇ろに祀られています。

一九首 成田山 成田山不動堂

 十九首塚をお祀りしてある場所、成田山不動堂の裏手になります。なるほど!と膝を打っていい情報ですよ。将門討伐のため、討伐後は将門の首が全国を飛び回って災厄をもたらしたので鬼門封じに下総の成田山に不動明王を祀った、そして身体の残る茨城は坂東目掛けて戻る首が途中で落ちた場所が東京大手町の首塚。胴塚は坂東に。神田の地名も”からだ”が訛ったとか。
 話を戻して掛川の成田山。十九首首塚の東に隣接する東光寺の説明が必要ですね。十九人の首を葬ったとき「医王山平将寺」として建立された。本尊は将門の念持佛である薬師如来。その後戦乱や何かで荒れ果て、改宗再興統廃合などで現在に至る。そのゆかりの東光寺本堂に続いた東側に”ゆかりがある”と明治10年に成田山新勝寺から勧請したのがこちらの不動堂。
 神田明神にお参りする人は成田山新勝寺に詣でてはいけないとされます。将門調伏のための不動明王ですから。掛川の地では薬師如来を本尊とする平将寺から、成田山の不動明王を勧請する門前町へ。色々な解釈ができますね。面白い。

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ノンビリ進行でしばらくは紀行文

水門全景
ところで師走ですな。いやはや。手帳がスゴイことになってきましたが皆様いかがお過ごし?
社内では担当者総出で突貫工事をいくつか抱えており苦労を掛けています。相も変らぬ不況の中、またデフレの受注環境の只中ですが、仕事が回ることについては本当にありがたいことだと思います。

表題の通り、今年もあちこち回りましたので、ブログだけは息抜きモードで振り返っていきます。まずは近場から勝手に観光案内。上掲は掛川は弁財天川河口付近の昭和水門。右端の黒いカタマリ、軽自動車の手前ですが何だと思います?答えは後々、下のほうで。

そのままR150を浜松に向けて。袋井東同笠あたり。閉鎖してしまった八百屋さんですが。
鬼メロン夢街道
うふふふ。この鬼が好きで。他にも背面には青鬼。壊れて寝かされている緑鬼。どこかに黄色もいるのかな。もっと以前は激辛ラーメンだった気がするけど。

そのまま西へ。福田の第一公園。国道からちょっと白い頂部が気になっていまして。
福田忠霊塔 福田忠霊塔

公園としてもきれいに整備されていますので、この施設、うっそうとした松林の枝を刈りこめば、、、と思いましたが。
 
で、弁天川の答えは、水門橋梁竣工記念の獅子像(昭和4年)
水門獅子台座正面 台座も恰好よい

このライオンはもこもこしてて可愛い。いたく気に入ったので以下、何枚も貼ります。

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MM式火災報知機 ホーチキ70年史より

hakata-FA_20121201150239.gif 下記の裏表紙

想い出の街想い出の街
(1989/08)
井上 孝治

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 もののついでと言っては何ですが。前稿 大したことは話せなかったなぁ その2 で静岡出店50年のホーチキさんに草創期の業界紙向け広告をお渡ししたとUPしましたね。昭和63年の「ホーチキの70年」記念出版の社史よりMM式の良い写真を。

mm1_20121201150238.gif 珍しい施工中

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素頓亭

Author:素頓亭
スットン亭です。
旅を仕事にしたい今日この頃。

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