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ノンビリ掛川の将門首塚

一九首塚
平将門 十九首塚(じゅうくしょづか)

 平将門。神田明神の祭神として江戸っ子の守りでも知られています。首塚は東京大手町が有名ですね。実は掛川にもあるんです。首塚。掛川の地名の由来の”一説”にもなっています。天慶の乱(940年ごろ)、関東一円八か国を制覇した平将門が征討軍である叔父の平貞盛や藤原秀郷らに討たれます。秀郷は将門と18人の家臣の首級を京で検視するための途上で宿場の掛川に立ち寄る。一方で京よりの勅使が「賊人を禁裏に近づけてはならない」と、この地 十九首(じゅうくしょ・地名)で検死される。首級を洗った川が血洗い川、橋の欄干に首級を晒したので、首を掛けた川⇒掛川との説。

 秀郷は「罪人とはいえ今や滅びて無し、その屍に鞭打つは非道なり」と地元住民と十九の首級をそれぞれ埋葬してねんごろに弔う。十九か所の塚とのいわれで地名も十九所(読みは同じ じゅうくしょ)であったとも。近年になって開発により将門のものと思われる大きな塚を残すのみとなっていたので、平成13年に改めて家臣18人の供養塔を建立し懇ろに祀られています。

一九首 成田山 成田山不動堂

 十九首塚をお祀りしてある場所、成田山不動堂の裏手になります。なるほど!と膝を打っていい情報ですよ。将門討伐のため、討伐後は将門の首が全国を飛び回って災厄をもたらしたので鬼門封じに下総の成田山に不動明王を祀った、そして身体の残る茨城は坂東目掛けて戻る首が途中で落ちた場所が東京大手町の首塚。胴塚は坂東に。神田の地名も”からだ”が訛ったとか。
 話を戻して掛川の成田山。十九首首塚の東に隣接する東光寺の説明が必要ですね。十九人の首を葬ったとき「医王山平将寺」として建立された。本尊は将門の念持佛である薬師如来。その後戦乱や何かで荒れ果て、改宗再興統廃合などで現在に至る。そのゆかりの東光寺本堂に続いた東側に”ゆかりがある”と明治10年に成田山新勝寺から勧請したのがこちらの不動堂。
 神田明神にお参りする人は成田山新勝寺に詣でてはいけないとされます。将門調伏のための不動明王ですから。掛川の地では薬師如来を本尊とする平将寺から、成田山の不動明王を勧請する門前町へ。色々な解釈ができますね。面白い。

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