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東京市復興記念ヱハガキ 】 関東大震災から90年

 9月1日は防災の日でしたが、静岡県内も富士山噴火で山梨県側と連携とか、海に面した地域とか、それぞ野の地域に即した訓練が実施されましたね。防災の日を制定するきっかけとなった関東大震災 大正12(1923)より90年という区切りでもあったので、行政の危機管理担当者様はより力が籠もったことと思います。お疲れ様でした。

 さて、拙ブログではこれまで、関東大震災の復興について幾らかUPしてまいりましたが、どこが「復興が成った」という目安になりましょうか。震災復興~戦前~空襲~戦後復興という歴史の流れもありますし、現在の東北の進捗からみて”東京市(当時)の震災からの復興)という見方をした方が良いかと思いまして。

東京市復興ヱハガキ-袋 東京市復興記念絵葉書 4枚セット 昭和5(1930)年が発行されています。

 東京市復興ヱハガキ-002

 上段は事業内容、下段は事業内容のうち”銀座より見たる日本橋通り”と”清州橋”

事業ノ内容
土地区画整理 9,420,000坪
街路増修施設 225里
架橋     425橋
河川工事   4里
公園新設   大公園 2・小公園 52
学校改築   112校
水道復旧拡張 貯水池、浄水場、送水管 等
下水道 〃  6,666,000坪
社会事業施設 63か所
塵芥処分施設 工場 2 ・取扱所 27
ほか、病院、食料品市場、電灯、電車、諸設備 等

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
工事費総額 6億8千万円(当時)
所要時日  7年


・・・というわけで、一応の区切りで7年(6年と半年)ということが出来ましょうか。以降は教訓による都市計画や耐震基準による予防的な防災化、という理解にしておきます。

東京市復興ヱハガキ-003

 続く上段も事業内容より”上野公園より見たる広小路”と”浜町公園”、下段が東京市としての復興の立役者、
まずは後藤新平(復興半ばの昭和4年没)、元の東京市長で震災翌日に内務大臣(第2次山本内閣)、兼、帝都復興院総裁として復興計画。大立役者です。復興予算30億をぶち上げたものの野党らの反対で1/10の縮小、山本内閣が総辞職すると、復興院も内務省外局の復興局に縮小されました。実は昭和7年とは、復興局の廃止の年になりますので、やり残し、思い残しがあったのでは、とも思います。
 続く 堀切善次郎 東京市長も復興局長経験者。以下、高木・清野・中川と歴代復興長官が並びます。

 ちょっと寂しい書き方になったかもしれませんが、日本政策センターにて、 後藤新平「帝都復興構想」に何を学ぶのか2013/04/28付けで顕彰されています。

 さて、この復興の中で、新しい通信インフラが整備されました。東京と横浜の堂々たる施設をご覧ください。

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