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蛇足 怪談ついでに

 蛇足ですのでご興味の方だけ。「怪」を暴くゴーストバスターズの話をしました。本稿でもそうですが、性分というかクセのようなもので、モノを楽しむときの手順は、現物を愛でる~源流をたどる~亜流を発掘する~全体を俯瞰する~カテゴライズ(分類)、体系化する~持論をつくる。人生是楽しみ、とばかりに割りと悦楽的享楽的に生きているので、このような手順で体系化した仕事術と趣味の各論を絡ませて新たな思考にふける・・・ツボにはまると寝られません。

新耳袋 第十夜  現代百物語 (角川文庫)新耳袋 第十夜 現代百物語 (角川文庫)
(2008/06/25)
木原 浩勝中山 市朗

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↑ このシリーズ、第一夜~十夜まで10巻、1冊100話で百物語を構成し、完結まで10年以上掛かっていると思います。現在は角川から文庫化。現在主流の実話系怪談の走りにして最恐のシリーズ。スタイルは簡潔、淡々と取材したままに出来事を描写し、因縁や呪いのような落としどころ、脅かしどころはありません。登場人物は脈絡もなく怪異に見舞われ、ポーンとその場に置き去りにされる。謙虚に怪異を受け入れるというか、そこに作者の主観や憶測を排除する我慢強さも(怪談分野で)大ヒットになり、今でも多くのフォロアーやホラー映画にも大きな影響を与え続けています。扶桑社から第一夜を出版した際、100話を丸々怪談で構成したら、怪奇現象に見舞われた、体調を崩した、事故にあったなど読者からクレームが多く、別の出版社から99話+あとがき のスタイルに構成しなおしたという逸話が有名です。自分も第四夜と第七夜は一気に読破し、どちらのときも高熱を出しました。前にも書きましたが、読みたくなるときは疲労やストレスで弱っているときなので、読まなくても熱くらい出すでしょう。そんなタイミングの人が多かったのだと思います。怪談は景気が悪く元気がないときに流行します。
 この新耳袋、「新」というからには元祖があります。根岸 鎮衛(ねぎし しずもり、やすもり)の著した耳袋(耳嚢)。江戸中後期の奉行、同僚や古老により聞いた世間話を随筆にまとめ、30年間で10冊1000話遺しています。珍談奇談を多く収録。木原浩勝、中山市朗の著者2名が膨大な取材と裏づけ調査で現代版の耳嚢を復活させたことを日本文学史としてもっと評価されてよいことに思います。

 
 近現代、エンターテイメントとしての怪談が大いに発達しましたが、耳袋から数十年遅れて鶴屋南北の東海道四谷怪談を発表。この怪談を演劇化する前の実録本も読みましたが、内容がすさまじいことには変わりないが、脚色のない淡々とした描写が、静かに、時折鳥肌が立つ、ほどよい狂気を楽しみました。こちらは「江戸のエクソシスト」ちくま文庫に収録されていたと思います。仏教説話、「親の因果が子に報い~」がこの時代を支配していました。お寺でも地獄極楽図で分かりやすく死生観を説きましたが、極楽と現世が紙幅の1/5程度、7割8割は地獄めぐりに費やされています。
 江戸川乱歩は幼少時のお寺体験が大きく影響したといっています。芝居小屋もお寺も怪奇を通して娯楽を提供した一面があったのだと思います。(天狗の詫証文、鬼・人魚・河童のミイラ、幽霊の足跡、みなお寺の見世物です)

 明治になると西洋文明が入ってきます。三遊亭円朝(圓朝)が「真景 累ヶ淵」を創作します。真景は「神経」と掛け、これまでの因果モノと一味違う神経症の強迫観念を打ち込みました。哲学者井上円了が妖怪学を創始し、全国から話を収集し分類分析し、妖怪の棲む闇の領域のベールをはがしてしまいました。そのころ産声を上げた「小説」というスタイル。文豪夏目漱石「夢十夜」と弟子内田百「冥途」とで怪奇と幻想の創作というスタイルが確立し、乱歩をはじめ大正のエログロナンセンスから現代のミステリーというジャンルになってきたのだと思います。

 一方で民俗学が発達し柳田國男が妖怪の体系化を推し進め、現代もアンチを含めて柳田学説の影響から抜けていないようですが、小松和彦氏が鬼や呪術の解明に活躍しています(ファンです)。さて、こうした文学の主流の変化と民俗学などによる世の中の理解により、実話系怪談はすっかりすたれ小学生向けに細々といった感じでしたが、ここで稲川淳二氏が風穴を開けたように思います。語り口調で「あたしゃこう思った、オカシイですよね。」と読者に考えさせることでもう一度恐怖感を与えてくれました。口裂け女や人面犬など妖怪の棲家も都市伝説に主戦場を移したようです。そして新耳袋で主観のない本当の実話(系)で怪異を復権したところです。そしてインターネットが発達し、発信者から直接こわい話が増殖するようになりました。死ぬほど洒落にならない話を集めてみない?

 ざっと大まかな流れですが、明治この方、文明化により、中でも精神医学の発達によりオカルティズム(見えないもの)を暴き続けてきたと思います。因果応報も村の禁忌(タブー)もなくなり、ムラ社会ではしきたりとして抑制できたであろう越えてはいけない一線も、現代は直接 国家=法律 VS 個人となり、やってはいけない事の線引きができない人が事件を起こしているのではないかと思います。集団生活での良識常識が失われると「生きている人間が一番怖い」ということになりかねません。すでにムカツクという我慢の表現からキレルという実行する次元になっています。TVで「アンタ死ぬわよ」と脅し、オーラがどうたら、前世がこうたら、こういうのは本当に悪影響だと思います(大嫌いです)。場末の酒場で誰も本気にしないようなところでやるものであって、公共の電波に乗せる性質でではありません。視聴率至上主義で一線を越えてしまっている状態だと思います。この怖さはオウム事件で懲りて自粛していたはずだが、企画段階で止める人はいなかったのかとつくづく呆れています。まあ、見てませんが。

 ああ、怪談に絞るつもりがまた脱線しました。怪談を通して物ごとの理解の手順、考え方、詰め込みすぎは とっ散らかる原因 ということが分かったと思います。今回はこれにて。

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怪力乱神を語らず
怪力乱神を語る

テーマ : 文明・文化&思想
ジャンル : 学問・文化・芸術

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