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郷土科学技術先賢者 略歴

 郷土科学者の黎明 その2です。

 先のエントリでは、目次で本書の内容を紹介しましたが、その中で、
「10章 郷土科学技術先賢者略歴 のみ、列伝です。上記著名人と重複もありますが、総勢36名の業績を列記。これこそ目と指の限界に挑む勢いで全員紹介しようと思います。」と予告したとおり、章ごとに特筆された偉人からではなく、36名の列伝から紹介します。

 この10章のみ独立して序文と凡例、目次が付され、商用ならば別冊付録になっていそうな体裁。それでは早速。



第10章 郷土科学技術先賢者 略歴


 吾等が郷土 駿遠豆の三州は、天賦の恩沢に恵まれること多く、為に却って奮闘努力の精魂に乏しいと言われているが、然し刻苦励精を積んで、今日まで各方面に不滅の業績を遺している先輩が多数にあり、殊に科学技術のの進歩発展にも貢献した人々は決して少なくはない。而して科学技術界今日の盛運が、これ等先賢の努力に負うところのものが頗るおおきいことを考える時、吾等はその遺業に対し衷心から敬慕の念を禁じ得ない。今や聖戦完遂(※昭和19年の書)のために、欧米依存を脱却したる日本的科学、日本的技術の飛躍的振興が叫ばれている。本会はこの切実なる国家的要請に応えるべく、駿遠豆三州の出せる斯界の先賢の遺業を追慕顕彰し、以て後進発奮の資たらしめんと希う次第である。

凡例

一、郷土先賢は本県に没し、或いは本県に業績を遺せる人々の中より選べり。
二、敬称は総て之を省略せり。
三、生没年および享年の判別せるものは之を記し、伝記は極めてその大略を叙するに止めたり。


。。。。早速、序文のはじめからですか。静岡県民の自然に恵まれているからノンビリしている県民性は、ずっと言われているんですね。文中、「先賢の遺業を追慕顕彰し、以て後進発奮の資」とある通りです。まずはその名前と共に成果物を知って、郷土の産業の性質を知るヒントになれば幸いです。

さて、一から三六まで、一気に手入力で起こそうと思いますが、来客予定があり、時間の許す限りとします。続きは次回に。(ちょっと腰が引けていますね)

一、五條義助
 正安年中(1297~1302)の人。志太郡島田駅に住みて、鍛冶を業とす。相州正宗に従いて錬鉄作刀の法を承く。子孫名工を出し四代目義助は今川義忠に愛せられ、十代義助は家康のために刀剣を打ちて賞を賜う。十四代に至りて業を廃す。

二、野田繁慶
 駿府の刀匠、のち江戸に移りて幕府の御用鍛冶となる。作刀振りは伝統を酌まず他伝を頼らず、自ら工夫発明して全く古今独歩。後世虎徹出現せざれば恐らく新刀大業物日本一の称を独占せしならん。新刀五作の一人に数えらる。高野山へ寄進せる雌雄剣は異色ある神品にして国宝に指定さる。正保三年(1646)没。
 ※虎徹といえば新撰組近藤勇の愛刀ですね。イメージ補助に。

三、大村加卜
 刀匠。正保より元禄(1688~1703)頃の人。現在の静岡市下川原に生まる。初め角田休古の門に入りて外科を修め、高田城主松平光長に召抱えられ、のち刀工となる。繁慶、虎徹と並び三奇刀の称あり。子孫また刀槍の名工を出す。刀剣秘宝の著あり。

四、一貫齋繁壽
 本名宮口八郎、天保九年(1838)駿府本通に生まる。諸国を修行して相州伝、粟田口伝を会得し、静岡車町其の他において作刀に従事す。彫刻を能くし入神の技を示す。宮内省御買上の栄を賜りしことあり。晩年砲兵廠に召されて刀剣を製作す。明治三九(1906)年六九歳を以て静岡に歿す。門弟一貫齋を称して現に刀匠たり。(遺族 東京都豊島区西巣鴨 宮口某)

※刀鍛冶が続きましたが、四でぐっと身近な世代になりましたね。産業の一つのルーツは鉄の精錬にあり、日本刀の世界的評価はご存知の通りだと思います。刀匠として現代も技術を進化させる方もいれば、明治時代以降、時計や宝飾品、ハサミなど身近な刃物などへ転職し、技術も拡散していきました。基幹技術としての鍛冶職人、古代より断絶なく尊敬されていたからこそ、西欧の産業革命に追いつくことが出来たと理解しています。事実、天文12(1543)種子島に火縄銃が伝来以来20年で日本の保有数は50万丁、あっという間に世界一になっています。戦国時代は世界に類を見ない最先端の軍事力だったわけです。開港150年の横浜ですが、黒船来航の折、世界中の植民地では現地人にはオーバーテクノロジーで「神」として畏れましたが、日本人は町人の野次馬から「蒸気機関の作動原理について」などポンポン質問が飛び出し、知的好奇心の裾野の広さに驚いたそうです。

 続けます。

五、江川坦庵
 享保(1716~1735)年韮山に生まる。天保六年 家職を襲ぎて代官となり治績大いにあがる。高島秋帆に就きて学び後、自ら砲術を講ず。門人四千余り。銃砲の製造に意を用い、反射炉を築きたいほうを鋳造して列藩の需に応ぜり。海防に就いて建議し品川砲台の築造に尽力す。安政二年(1855)江戸本所の邸に歿す。年五十五。(遺族 東京都牛込区弁天町 江川某)

六、柏木忠俊
 文政七年(1824)韮山に生まれ、江川坦庵に仕う。安政元年主命を奉じて長崎に至り、蘭人に就きて造船、航海、砲術等を修め坦庵の研究に資するところ多し。また対馬村において自ら地勢を測量して用水を通じ、数町歩の良田を拓く。足柄県権令となる。明治十一年五十五歳を以て歿す。(遺族 静岡県田方郡韮山村 柏木某)
※本稿とは関係ありませんが、対馬、日本の領土問題で新たな火種になりつつある地域です。着色部分、図らずも「対馬は日本固有の領土」である証が出てきました(本当に当たり前のことですが)。某隣国の国会(!)では「対馬は我国領土!」と大騒ぎしています。そんな国に援助してしまうお人好し国家があるんですよ?その国の新政権はそのような国から大歓迎されています。いや、まぁ、ごにょごにょ。

おっと、時間になりましたので、続きは次回です。ごきげんよう!(あと30人分。。。。)

テーマ : 温故知新
ジャンル : 学問・文化・芸術

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