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伊勢湾台風を巡る桑名周辺

 時間調整で散策していたら、地球の真ン中に出てしまい、困惑しました。
桑名真ん中
東海道のど真ん中についてエントリしましたが、また大きく出ましたね。こういうPR,、結構好きです。地球の・・・と言いながら日本しか描いてないところもまた、好し。

 メーカー代理店会の中部地区総会がありまして、長島が開催地。早めに到着したので、湾岸長島を通過、食事どころを探しに、桑名市街へ。九華公園(桑名城跡)というところに立ち寄り。九華の字は「く・はな」→「くわな」の意味も込められているそうです。
九華公園 九華公園

 さて、今回のテーマは「伊勢湾台風から50年」です。この場所、揖斐川沿いになりますが、公園を越えて、堤防まできれいに整備されています。もともとの歴史的公園だけでも、チョットした散歩コースには十分な広さがありますが、さらに堤防まで駐車場や市民プール、渡し場、広々とした芝生の大公園が付加されたカタチでしょうか。
 堤防の整備については、こんな理由がありました。
伊勢湾台風30年碑←伊勢湾台風30年碑
礎石には「次代に引き継ぐあの教訓、伊勢湾台風」とあります。

緊急嵩上げ←高潮堤防緊急嵩上事業竣工之碑
礎石に「この事業は伊勢湾台風の災害復旧事業で建設された高潮堤防の地盤沈下対策として、昭和50年度に着手し、総事業費66億円と14年の歳月を費やして、昭和63年度に竣工しました。 平成元年9月21日 建設省木曽川下流工事事務所」

ここよりもう少し下流に行くと、やはり堤防沿いに。
揖斐川1←伊勢湾台風 不忘碑
こちらは、昭和34年の災害より3年後、昭和37年秋に、当時の桑名市長名で、その災害記録とともに設置されています。石碑や記録文自体は多少草臥れていましたが、植栽の手入れや、恐らく今でも絶やさず献花や慰霊がなされているであろう、大切にされている雰囲気でした。
碑文;
昭和34年9月28日夜 伊勢湾台風は大きな爪痕を当地方に残して去った。爾来既に3年、寸断された両岸及び河川堤防は、旧に倍し堅牢強固なものに改良構築せられた。ここに当時の犠牲者の霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、この未曾有の災禍を永く市民の心に銘し、将来再び斯かる惨禍のない事を念じ、本碑を建立するものである。
  昭和37年秋 桑名市長 水谷昇 誌

もう一遍の桑名市の被災状況は殆ど判読不能ながら、被災人数、損害家屋など事細かに列挙され、損失総額(桑名市)は41億8千万円、とのこと。

 今度は、対岸、長島です。(今回の目的地)
湾岸長島
コミュニティ防災センター(桑名市消防団長島方面団)。湾岸長島I..C.の北、およそ1km北くらい。
右側赤丸の標識が、【伊勢湾台風の水位】。m数の表示はありませんでしたが、3~3.5mくらいか。下に立って見上げましたが、迫力がありました。水害としては想像を絶しています。

 主催者メーカーの幹部にこの地方出身者が見えますので、話題にしましたが、「あ~、私がまだ7歳のときだったね~。」まで聞いたところで席が離れてしまいました。宴席ではこんなもんですが、改めて聞いて見たいと思います。

尚、伊勢湾台風の被災状況、避難生活、復興への陳情の様子の写真は、七夕ですね、静岡人が思い出すのは?のエントリでUPしてあります。併せてご参照願います。


マスコミ空中戦 マスコミ空中戦 藤田清雄 (S38)マス・コミ懇話会

 マスコミの報道合戦、スクープをどのように出し抜いたか、という当事者(記者達)の回想録です。「伊勢湾台風の英雄たち-たたかうCBC-」と題する一章があり、桑名から名古屋本社へ辿り着けない記者の被災記録が残されています。
 桑名駅前でタクシーを捨て、服と16ミリとフィルムを頭に載せ、パンツ一つで桑名から歩きはじめる。長島町いったいは水の底。尾張大橋が濁流に浮いている。国道一号は橋が落ち、船は風があってダメ。被災者との情報交換、孤立した市民は自分の地域だけの被災と思っていたが、新聞を見て「どこも酷い」。救助船を手伝いながら取材、屋根裏で被災者と雑魚寝。小学生の遺体が流れてくるが手の施しようがない。医療ヘリに妊婦を乗せることに熱中し、取材を忘れ、絞られた。
 こんな様子を30ページにわたりレポート。ちょうど今回の時間調整エリアでしたので、実感が湧きました。

。。。また最後に余計なことを。。。
薩摩義士 薩摩義士の墓
 九華公園~桑名駅の中間くらい。信号待ちで。パッと見で、幕末をイメージしましたが、写真を見ると「宝暦治水 薩摩義士之墓」と見えました。歴史とは深く、また記録・顕彰という作業の大切さを感じます。本稿にも密接に関係する木曾三川の水との戦いです。

ムチウチ 九華公園のムチウチ君
1969の像なので、40歳。首も疲れるでしょう。長過ぎ。

 昼食は結局、公園脇の柿安本店へ。松坂牛の料理で有名ですが、840円の「和牛」すき焼き丼を食べてきました。売店コーナーで木箱に入った松坂牛3万5千円を横目に見ながら。

 宴会料理、その手は桑名の。。。で有名なハマグリ。大層立派なもの(茨城産)が出されました。浜名湖のフグを下関に卸していたり、水戸納豆も「行商」が有名で特産ではなかったとか、名物のブランド化も結構大変なもの。B級グルメなど、現在のブーム作りと余り変わらないかも知れません。





テーマ : 温故知新
ジャンル : 学問・文化・芸術

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