FC2ブログ

大日本報徳社 文化財の耐震補修

報徳 門
大日本法徳社 道徳門と経済門(明治42年) 奥に見えるは大講堂

明治36年(1903) 日本ではじめの公会堂 近代和風建築 重文指定 平成21年6月
           
          収容人員 1階 250人  2階 130人 (立ち見の際)

見所 欅の一本柱、2階吊り天井の鉄の吊り棒はドイツより輸入
   照明は竣工当時はランプ、窓のアーチは当時珍しい木枠(大工の意匠による)
報徳 内部 内部の意匠

報徳 演台 演台

西洋建築を推進する建築家の一群について前項 【脱皮】 西洋建築から日本近代建築へに紹介しました。
その一方、明治の大工の棟梁たちも和洋折衷の日本建築を推し進めていたようですね。磐田市でも旧見付学校が残されています。宮大工の洋風建築です。

見附 小学校 史跡 旧見付学校 磐田市
明治7年(1874)堂宮棟梁 伊藤平右衛門による設計で着手、翌8年開校。現存する日本最古の木造洋風校舎。
基礎の石垣は遠州横須賀城のもの。玄関のエンタシス様式の飾り柱が見もの。
見附 エンタシス

さて、大日本報徳社の大講堂です。修復にあたり4億数千万円の費用のうち県・市・信用金庫より各1億、残り1億数千万は報徳会員からの推譲金(寄付金)で賄ったそうです。掛川市といえば新幹線誘致の30億、高速インターチェンジに12億、掛川城天守閣に10億と、大きな事業に地元企業や市民の厚意が寄せられてきました。報徳思想の根拠地にして公益の考えが行き渡っている掛川市ならではの市民感情でしょうか。

重文指定に先立つ平成18年に大補修がなされましたが、耐震文化財としての修復が施された最初の事例だそうです。
  1)屋根を軽くする為、瓦下の土を削除し防水を施す。
  2)柱附近の襖を開けないことと階段の補強で耐震性を高める。
  3)土台(基礎)を堅牢化する。

報徳 講堂


関連; 祝 報徳社大講堂 重文に 2009-04-18

報徳 尊徳像 金次郎さんではなく、尊徳翁。背面は報徳図書館

さて、次回は大日本報徳社ぉのものの防災思想についてご案内します。江戸時代の思想で現代まで「現役」で受け継がれているのは報徳思想のみです。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

素頓亭

Author:素頓亭
スットン亭です。
旅を仕事にしたい今日この頃。

最新コメント
カレンダー
08 | 2019/09 | 10
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -
カテゴリ
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブログランキング
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード