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どうなった?「稲むらの火」のその後

ANIV1.gif 仙台 25:00の賑わい

 前回のエントリにて、弊社第47期創立記念式典につきまして、滞りなくとご報告させていただきました。「一言ごあいさつを述べてから、永年勤続表彰。」とさらりと流してしまいましたので、もう少し内容を。

 震災復興の様子について一年後である3月22日から行ってきた様子をお話ししましたね。
 実は当日、ちょっと長回しをしなければならなくなりましたので、別のお話しから急遽変更した内容です。ヘルン先生の防災リポートと現場写真の中で、文豪・小泉八雲の防災研究者としての一面をご紹介しました。

日本語の「津波(TSUNAMI)」を海外に初めて紹介したとされる焼津市ゆかりの作家小泉八雲(ラフカディオ・ハーン、1850~1904年)の所蔵品など、明治期の貴重な地震関連資料を紹介している。
 展示の中心は1896年(明治29年)6月に東北地方を襲った明治三陸地震の被害を記した当時の英文冊子「日本の大災害(邦題)」。八雲研究者の明治大講師中川智視さん(埼玉県)が、八雲の全蔵書を保管する富山大付属図書館で発見、翻訳した。
 八雲は明治三陸地震後の同年冬、防災民話として有名な「稲むらの火」の原作となる作品「A Living God(生き神)」を発表。1894年には評論「地震と国民性」を執筆するなど、日本の地震災害に関する複数の文章を残している。


「稲むらの火」は防災教育として再び脚光を浴びて、知られるところとなっていますが、史実としての「その後」はご存知でしょうか。そのあたりを手短に話す予定でいましたので、ブログにてご紹介しておきます。いま社内回覧中の月刊フェスク6月号にもTeaTimeというコラムページにも掲載されています。

 稲むらの火(本編)のおさらい 災害に強い国づくりをめざして 国土交通省

コラム・事例 「稲むらの火」をご存知ですか?
 今からおよそ150年前、安政元年(1854年)11月(旧暦)、紀州広村(現在の和歌山県広川町)は大きな地震(安政南海地震)とそれに伴う津波に見舞われました。村は、36名の死者を出し、被害にあわなかった家は1軒もないなど、大きな被害を受けました。
 このとき35歳になる浜口梧陵は、逃げ遅れた者が逃げる方向を見失わないように、道筋にあたる水田の稲むら(ススキや稲束を積み重ねたもの。浜口家の稲むらだったと言われています。)に松明で次々に火をつけ、村人を安全な場所に導きました。また、彼は、被災者用家屋の建設、農機具・漁具の配給を始め被災者の救済に尽力するとともに、私財を投じて高さ約5m、延長約600mの堤防(広村堤防)を築きました。広村堤防は、昭和21年南海地震の津波が広村を襲ったときには、村の居住区の大部分を津波から守りました。現在、町内には、浜口梧陵の偉業をたたえる碑が建立されています。



 ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、明治29年の三陸沿岸の津波災害の惨状と、伝え聞いていた浜口梧陵の偉業をヒントに、“A Living God(生き神様)”という短編小説を書きました。その後、小学校教員の中井常蔵により小学生向けに書き改められ、「稲むらの火」と題して昭和12年から10年間小学国語読本(5年生)に掲載されました。「稲むらの火」は、浜口五兵衛という老人が、海が引くのをみて津波の襲来を予測し、何も気づかない村人にこのことを知らせるため、稲むらに火をつけ、安全な場所に避難させたという話です。「稲むらの火」は実際の話とは異なっていますが、これを学んだ小学生に深い感銘を与えるとともに、防災に関する基礎知識を伝えたと評価されています。最近では、平成16年12月のスマトラ島沖大規模地震及びインド洋津波被害の際に、「稲むらの火」が津波対策の好教材として注目を集めました。
 私たちは、自然災害に周期的に襲われているいわば災害列島とも呼ぶことができる土地に住んでいます。改めてこの点を思い起こし、日ごろから防災に関する意識を高めていく必要があるのではないでしょうか。
・・・史実としての「その後」の物語
INAMURA.gif クリック拡大 
百年後のふるさとを守る
小説では、燃え上がる稲むらの火に驚いた村人が、高台にある五兵衛(実名:濱口儀兵衛)の家に駆けつけ、津波の難を逃れたところまでで終わり。

その後の濱口儀兵衛は、
○莫大な私財により、4年の歳月をかけ、全長600m・高さ5m・幅20mの巨大な堤防を完成させる。
○津波によって家や仕事を失った人を雇用し、村の離散も防いだ。
○堤防完成より88年後の1946昭和南海地震の大津波から、見事に村を守った。


江戸時代から続く報徳思想に基づく被災民の救済方法、現下の被災地雇用のミスマッチと対比した記事をUPしましたが、雇用側・被雇用側とも志しが違うなあ。。。

史実としての「稲むらの火」は気象庁のHPに簡潔かつ詳しい。下記は目次。

はじめに
安政地震津波
浜口梧陵と稲村
広村堤防
A Living God
実話との相違
昭和南海地震津波
広川町今昔


このような記事を書いていたら、今朝の朝刊にて、ありがたいですね。

遠州灘に防潮堤整備 一条工務店が300億円寄付(2012/6/12 08:40)

 川勝平太知事と鈴木康友浜松市長が11日、県庁で記者会見し、浜松市で創業した一条工務店グループから県に対し、津波防潮堤整備資金として300億円の寄付申し出を受けたことを明らかにした。県と市、同社は寄付金を活用し、浜名湖入り口東岸から天竜川西岸までの約17・5キロの防潮堤などを整備するとした基本合意を結んだ。
 合意事項は、一条工務店グループが2012年度以降3カ年で300億円を寄付▽県は早期に防潮堤整備に着工、竣工(しゅんこう)▽浜松市は整備に必要な土砂を確保、地域住民の理解促進のための説明―など。
 3者の基本合意は約17・5キロの防潮堤に加え、馬込川河口部の津波対策も盛り込んだ。県は来年6月の策定を目指す第4次地震被害想定を踏まえ、整備内容を決める。遠州灘沿岸海岸保全基本計画の変更などの手続きが必要となり、工事着工は14年4月以降になる見通しという。
 川勝知事は寄付について「平時も地域に親しまれ、愛される土堰堤(えんてい)になるよう整備したい」と防潮堤整備の考え方を述べた。県内沿岸部の他地域についても「津波対策は最重要事項」と説明、整備を加速させる方法を検討する考えを示した。
 鈴木市長は「津波対策は『逃げる』と『防ぐ』の両面が必要。寄付により、市民から求められていた防ぐ施設の整備が可能になる」と歓迎した。
 寄付は、一条工務店の創業者大澄賢次郎氏が昨年4月ごろ、親交がある鈴木修スズキ会長兼社長に相談。鈴木会長兼社長が仲介役を務め、浜松市長と知事と協議を進めた。一条工務店の宮地剛社長は「創業の地であり、育てていただいたこの地域で、明日来るかもしれない津波対策として、速やかに対応しなければいけない土堰堤構築で恩返ししたい」とのコメントを寄せた。

関連;BCP、経営TOPマネジメント、企業の社会的使命、など 2012-04-07

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まとめtyaiました【どうなった?「稲むらの火」のその後】

 仙台 25:00の賑わい 前回のエントリにて、弊社第47期創立記念式典につきまして、滞りなくとご報告させていただきました。「一言ごあいさつを述べてから、永年勤続表彰。」と

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