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太宰府で最古の戸籍は武人のものか

太宰府 人名・身分記した最古の木簡 戸籍制度、7世紀末に完成2012.6.13 08:39 (1/4ページ) 産経ニュース

福岡県太宰府(だざいふ)市は12日、市内の国分松本遺跡で、人名や身分など戸籍の内容を7世紀末(飛鳥時代)に記録した日本最古の木簡が見つかったと発表した。律令(りつりょう)国家体制が整う大宝律令の施行(8世紀初め)に先駆けて、統治の基本となる戸籍制度が完成していたことを示す貴重な発見という。

 市によると、木簡には行政単位の「嶋評(しまのひょう)」や冠位を表す「進大弐(しんだいに)」などの漢字が両面に墨で書かれていた。「評」は大宝律令以前の地方行政単位「国・評・里」の一つで郡に相当し、嶋評は現在の福岡県糸島市や福岡市西区に当たる。

 現存する最古の戸籍は、奈良・東大寺の正倉院に伝わった文書「筑前国嶋郡川辺里戸籍」(702年)などだが、それ以前の戸籍の具体的な姿は不明だった。出土した木簡は(1)701年に「評」が「郡」に変更された(2)685年に「進大弐」の冠位使用が始まった-を理由に、市は685~701年の作成とみている

 木簡には「建部身麻呂(たけるべのみまろ)」など少なくとも16人分の名前が載っているほか「兵士」や「丁女」(成年女性)などの身分や性別も記載。「老女之子」など続柄が分かる表現や、正倉院の戸籍と共通する「川部里(かわのべのり)」という里の名もあった。
以下略、都合4ページ分あり

 今年は、博多・北九州にご縁があり、例年というか2年で3回とか行く機会がありますが、今年は決まっているだけで3回予定しています。明日からが1回目。一緒に行く皆さん、楽しみですね。
 で、上掲の記事、詳しくない人に古代史的な見所は着色しておきましたが、太宰府といえば唐からの九州沿岸防衛として集められた防人(さきもり)。建部とは日本武尊に代表する”タケル”という武人の姓ですね。静岡人としては知っておいて下さい。防人制度初期の頃は遠江以東の国から派遣していましたので、遠江国・駿河国・伊豆国からも過酷な徴兵に従っています。

 菅公・菅原道真が左遷されたのも太宰府。学問の神として崇敬される前、濡れ衣から大宰府に左遷され客死。都を恨んで祟り神になったといい、雷害に猛威を振るう。カンコー学生服は学問の神から「菅公学生服」でした(まだ古い看板がかかっている店があります)。

 防人の歌は万葉集。多くは東国の農民兵ですから、家族との別れを詠ったものが多い。この頃の男を指す言葉で”背”というものこそ、家族・郷土・領土を守るために前線に向かうに相応しい後ろ姿はないでしょう。現代では自衛隊の崇高な任務を思い浮かべるかもしれませんが、働くお父さんもこうありたいと思っています。家族の生活を守りたいのならば、外に出て給料を狩りにいかないとね。某北陸の大先輩から聞いた話ですが、あちらの方では独身者が転勤で行っても「家族=守るべきもの」がいないとして信用されないようです。新聞記者なんかも大事な情報がもらえないとか。このあたりの話、男性社員の結婚式で何度か披露しています。新婦さんにも頑張る男の背中を理解して応援してもらえるようにね。

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太宰府 人名・身分記した最古の木簡 戸籍制度、7世紀末に完成2012.6.13 08:39 (1/4ページ) 産経ニュース福岡県太宰府(だざいふ)市は12日、市内の国分松本遺跡で、人名や身分な

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