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岡倉天心 六角堂 復興プロジェクト 】 茨城大学

六角堂
復興された六角堂

規模は小さいが良い仕事なんです。 2012-04-20 という記事で、
国の重要文化財指定「東照宮本殿」所有神社が破産 とか、
生活優先…被災地の神社仏閣進まぬ再建 2011/12/11 産経 
などの記事紹介とあわせて下記を紹介しました。

六角堂など6件抹消へ 被災の登録有形文化財 2011/11/21 同上
 文化審議会は、東日本大震災の津波にのまれ消失した「茨城大学五浦美術文化研究所六角堂」(茨城県北茨城市)など登録有形文化財の建物6件の登録を抹消するよう中川正春文部科学相に答申した。近く答申通り告示される。大震災で被災した登録有形文化財の登録抹消は初めて。
 六角堂は仏堂と茶室を融合させた9平方メートルの六角形の建物で、明治時代に近代美術を指導した岡倉天心が設計、明治38年に完成した。海に突き出た岩場に立っていたが、津波で消失した。

以下略。いずれのニュースソースも現在リンク切れです。

なお、流失前の姿は、日経 日本の近代遺産50選 の 44 五浦六角堂
前稿の通り 北茨城で震災の被害と復旧・復興について講義を聴き、現地をご案内いただき、ホテルを出て隣地・六角堂に徒歩で。上掲写真は再建されたもの。2度目の津波で建物がさらわれた様子はホテルの座学で予習。
六角形の台座と海側にへし折れた火災報知機を残して流された写真から、引き波で建物ごと持って行かれた様子がよくわかりました。


六角堂岡倉像 岡倉天心 座像

本題の前に、岡倉天心と五浦六角堂について、上記リンクの近代遺産50選から説明を引用しておきます。
茨城県の北のはずれ北茨城市五浦海岸に、近代日本を代表する思想家、岡倉天心の旧居と六角堂がある。五浦(いづら)という地名からも明らかなように、その場所は陸地が急に海へなだれ落ち、荒々しい断崖(だんがい)と岩礁に囲まれた5つの小さな湾が連なる奇勝である。
西洋文明の荒波が押し寄せた時代。「日本美術の真価と日本人の心を広く世界中に伝えたい」という情熱にかられた天心は、1903(明治36)年、付近の土地を買い求め、2年後には居宅と六角堂、少し離れた高台に日本美術院研究所を建てた。研究所には愛弟子(まなでし)の画家、横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山を呼び寄せ、日本画の近代化を目指した創作活動に当たらせた。
六角堂の広さはわずか10平方メートル。木造の小屋と呼んだ方がいいような粗末な建物である。天心が描いた図面をもとに、地元の漁村平潟の大工、小倉源蔵が建てた。
~ 中略 ~

仏・道・茶の精神を合一

仏教、道教に深い関心を抱いていた天心は、宇宙を示す六角形にこだわりを持っていた。さらに、1893(明治26)年、中国美術調査のため初めて清国を訪問、四川省成都で唐時代の詩人杜甫の旧跡を見て感銘を受けた。そこで杜甫草堂のイメージに朱塗りの柱や屋根の宝珠など仏教建築の要素を加え、さらに床の間と炉を切って茶室の雰囲気を取り入れ、道教、仏教、茶の精神が渾然(こんぜん)一体となった独特の建築物を生みだした。

茨城大学五浦美術文化研究所副所長の小泉晋弥同大教授はこう語る。「六角堂は通称で、天心は『観瀾亭(かんらんてい)』と名付けていました。瀾(大波)を見るあずまやという意味です。室内に座って海を眺めると目線が水平線の高さになります。まるで小舟に乗っている感じになるのです。天心はここにひとり座って大海原と一体化したのでしょう」
 以下略。

このような価値ある遺物でしたので、下記の通りのご尽力により建造当初の姿に甦りました。

復興への第一歩! 天心・六角堂 復興プロジェクト
再建の基本方針
(1)六角堂は明治38 年の創建当初の姿の復元を目指す。
(2)瓦は、昭和38 年の改修工事で新しく葺き替えられたが、明治38 年当時の桟瓦(8 寸幅)で復元する。
(3)昭和38 年の改修で変更された南側の出窓は、記録等を検討して当初のものに戻す。
(4)昭和38 年の改修で撤去された中央の六角形の炉を再現する。
(5)土台の分析から、当初の外観を復元する。
(6)窓ガラスは、当時の製法による再現を試みる。
(7)建物全体の彩色は、明治38年当時のベンガラ彩色を研究して実施する。
(8)土台の分析から、石垣は当初、茨城産の石灰岩の平詰みだったことが判明した。
(9)露盤の宝珠は創建当初のものと推定されるが、破損が激しいため3D スキャンにより当初の形態を復元し、
  その後実寸模型を作成し、完成させる。

● 今後、構造を検討しながら、当初の外観を復元する。また、土台には免震用ゴムをかませる。
● 11月着工、平成24 年3 月の竣工を目指して、五浦地区の復興のシンボルとして再び、多くの方々
を受け入れることを目指したい。
● 今回の大震災と津波を後世に伝えるために、海中捜索によって引き上げた品々や、復興までの記録
を展示する復興記念館の建設も視野に入れている。

尚、上記 天心座像は復興記念館で。団体行動なので駆け足で。ゆっくり見たかったぁ。。。
六角堂仰角
建設当初の姿に戻った南側の出窓

六角堂ガラス
新たに切った六角形の炉、明治の製法のガラス(向こうがゆがんでいる)

六角堂屋根
当初の寸法の瓦

この復興プロジェクト。「2012年度 グッドデザイン賞」を受賞とのこと。五浦「六角堂」再建の取組みが地域振興の大きな力となった点が高い評価を獲得されたそうです。

茨城大学五浦美術文化研究所 様のサイトでプロジェクトの全体がよくわかります。

それから、BSジャパンでドキュメンタリーがあるそうで。是非とも見たいところ。
蘇れ!震災に消えた日本の宝~六角堂復興プロジェクト~
7月1日(日) 午後3時55分~夕方5時20分
テレビを見る習慣がないので、DVD化してくれたら即買いですかね。あるのかな。

※ 六角堂での浸水高は7.3メートル。坂を上がった庭園にある旧居と”亜細亜は一なり”の石碑は10.7メートル。こちらまで浸水しています。
六角堂天心宅 上下;天心旧居
六角堂天心宅2

六角堂亜細亜ハ一なり碑 亜細亜ハ 一 なり

岡倉天心 日本文化と世界戦略岡倉天心 日本文化と世界戦略
(2005/06/26)
ワタリウム美術館

商品詳細を見る

視察後、地元で買い求めまして、なかなか見ごたえ読み応えの一冊です。建築家の寄稿もとても参考になりました。
オビより
ここまできて、なぜ天心が五浦の六角堂の中に座っていたか、とても面白くかんじるのですが・・・。
                  建築家 磯崎新
「いったい日本美術は世界に通用するのか」という問題だった。その渦中に仁王立ちした天心は、孤独を恐れず日本美術擁護と新たな「日本画」のための闘いを開始した。
                  編集工学研究所 所長 松岡正剛
日本文化の神髄を広く海外へ伝えた、謎おおき美術家・岡倉天心の生涯と作品を、未公開資料や海外資料を蒐集、新たに掘り起こし徹底調査。通説を覆す、待望の岡倉天心研究読本。世界の現代美術を紹介してきたワタリウム美術館が企画・監修した「岡倉天心展」に併せて刊行。海外における天心の詳細な足跡を、多数の未公開資料や図版で構成した。

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