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義光公祭 仮装行列 1920

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 義光公祭 仮装行列 大正9年 1920

 拙ブログ、少し飛ばしすぎて、自分に宿題を多く課していますが、資料が遅々として揃いません。徐々に首が絞まってきてあわわわ、アウアウと,
ネタには事欠きませんが、どの宿題から取り掛かろうかと悶えています。いやはや。

 少々息継ぎで、趣味の短稿です。

 変な絵葉書、気になる絵柄、集まってきたので小出しでUPしていきます。

冒頭が第1弾です。
皆さん、楽しそうです。今はホンのチョットの手懸かりで詳細が分かってしまうので、便利なような、夢が無いような。

 義光公といえば、新羅三郎義光のことだと思っていました。源頼義の子にあたります。源義家、義綱の弟。八幡太郎義家は大蛇退治、鵺退治の源頼政、源頼光は土蜘蛛や大江山の酒呑童子退治(金太郎こと坂田金時の大将)、そして天狗と修行した牛若丸義経。
 ・・・写真の風景からはそんな伝説めいた源氏系統のものだとばかり。



 
 ちょっと調べたら、下記で確定ですね。検索結果です。
1)義光公市祭余興仮装行列 その八  東北芸術工科大学東北文化研究センターこちらも良い絵葉書です。
2)寒河江(さんがえ)八幡宮 由緒 リンク先より
出羽国風土記・古社縁起等に依れば、今の高瀬山(郊外、島地区)近くに血縁・氏族等の大聚落の守護神あり、康平5年(西暦1060年)源頼義・義家奥州平定(前九年の役)の祈願をし、その霊験あらたかに依り寛治7年8月15日(西暦1090年)に八幡宮をお祀りし、神主1人を置き3,000坪を奉納した。
 後に、大江広元文治5年11月(西暦1187年)源頼朝より寒河江荘を賜り最上川西一円の地頭となり、建久2年(西暦1191年)産土神鎌倉鶴ヶ岡八幡宮の御分霊を勧請し、社人4人と田地1,000石を寄進し併せて現在の地に鎮座せしめられた。
 以来400年の間大江城主は、神を敬い民を撫し水利を興し田畑を拓き、祭政一致殖産興業を勧奨し大いに仁政を布き氏子の信仰篤かった。
 出羽守最上義光に天正12年(西暦1583年)に亡ぼされたが、義光公も敬神の念篤く文禄年間より黒印を与え、後江戸時代に至り幕府直轄の御朱印となり寒河江本郷17ヶ村と川西総鎮守として歴代尊崇変わる事なく氏子に維持され、神威ますます厳然として現在に至っている
 ・・・当たらずとも遠からずでした(と言ってよいのか)

炎立つ〈壱〉北の埋み火 (講談社文庫)炎立つ〈壱〉北の埋み火 (講談社文庫)
(1995/09)
高橋 克彦

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商品の説明
出版社/著者からの内容紹介
陸奥の豪族安倍頼良(よりよし)の館では息子貞任(さだとう)の婚儀が盛大に始まった。平将門の乱が平定されてすでに100年を越え朝廷は蝦夷(えみし)たちを俘囚(ふしゅう)と悔るばかりだった。源平の武士たちの台頭を前に東北の地に黄金の楽土を築こうとした藤原氏の夢がこの夜大きな炎となって燃えあがる。著者渾身の大作歴史ロマン全5巻刊行開始!!

内容(「BOOK」データベースより)
陸奥の豪族安倍頼良の館では息子貞任の婚儀が盛大に始まった。平将門の乱が平定されてすでに百年を越え朝廷は蝦夷たちを俘囚と侮るばかりだった。源平の武士たちの台頭を前に東北の地に黄金の楽土を築こうとした藤原氏の夢がこの夜大きな炎となって燃えあがる。著者渾身の大作歴史ロマン全五巻刊行開始。

・・・NHK大河ドラマにもなりましたね。古代~中世の東北文化史は著者、相当のこだわりです。


3)義光祭 わがまま店主のブログ 様より 引用
昭和30年代まで、10月17日には山形市において最上義光公を記念した「義光祭」が盛大に行われておりました。
「義光祭」は「花笠まつり」の前身と言われております。
ただ、そこでは「花笠踊り」ではなく、仮装行列で街を練り歩く、といったものであったようです。
当時の祭りを知る、七右ェ門窯の祖父に「義光祭」のことを聞いて見ました。
「義光祭(ぎこうさい)?いや、最上義光祭(もがみよしあきまつり)って言っていた。」
昔は、祭りの名を通じて、先人の名を知ることが出来たんです。
「今の祭り(花笠まつり)より、ずっと楽しい祭りだった。」と語っておりました。
しかし、突如、山形のお偉いさんが、観光客誘致のための祭りをしよう、ということで、「義光祭」から「花笠まつり」へ変更となったそうです。

「花笠まつり」はイベント化し、全国的に有名な祭りとなりましたが、かつて、先人の名をつけた「義光祭」があったことも忘れずにいたいものです

さて、昨日入荷したお酒の紹介をします。(※地酒屋さんのようです、お好きな人、どうですか?)

 以上、引用おわり。地域の古老に聞く祭りの記憶、ドキュメントとしてはこれが一番楽しい情報でした。こちらはもうすぐ浜松祭りですが、胸にドキュッときたところに色をつけました。凧祭りであり、御殿屋台の引き回しが観光誘致になっています。カーニバル型、発散型のお祭りにもイロイロと規制が発生し、少々お硬くなった感は否めません。町村合併もあり、従来参加していない町村部も参加し、盛大になっていますので、時代とともに変わって行くもであるし、一枚の葉書からちょっと感慨深くなっております。

NHKアーカイブスです。
ローカルアワー 激練りにわいた町 ~ドキュメント・浜松まつり~
放送日1984年5月31日 チャンネルBS 1

 この番組は日本のBS放送開始の記念碑的放送なので、全国的にも注目度も高く、一気に知名度が広がり、観光化も進みました。

 BS放送開始のGWに浜松祭りを紹介というのも、地域にとって大変ありがたいことでした。なぜ、浜松だったの?ということでは、TVの歴史が浜松から始まったという記念だったから、と聞いたことがあります。そのような粋な計らいがあったのか、単なるローカルな都市伝説かは分かりません。
 昭和元年(1926)「イ」 テレビの父 高柳健次郎
1926年(昭和元年)12月25日、浜松高工にてブラウン管による電送・受像を世界で初めて成功した。送像側に機械式のニプコー円板と受像側に電子式のブラウン管を用いて、片仮名の「イ」の文字を送受像した。走査線の数は40本だった。「イ」の字はいろは順の最初の文字として選んだ。 ウィキ抜粋

 昭和元年は日本放送協会(NHK)設立、八木アンテナ特許、と大きな技術の進歩が有りました。

 ところで、浜松LOVEの方は冊子 「浜松 これが日本一」が静かにでていましたもご参考に。

 2011年、地デジ完全移行までスグですが、何が変わって、何が無くなっていくのか、
いや、ここは商売人として、アンテナ、チューナーの対策はお済みですか?と言うべきですね。

テーマ : なんだコレ!?
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