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ここのところ天狗づいています。

半僧坊あぶらげ-001
あぶらげ の表記がよいですね。市場では「油揚げ」の商品名が多く、俚諺の「トンビにアブラゲ」くらいしか聞かない気がしますが、我々の口語ではやっぱり「あぶらげ」でしょうね。あぶらあげでは無く。テンポ感が違います。

某、酒飲みの身内からおすそ分けでいただきました。20cm ✕ 11cm
半僧坊あぶらげ12_01
半僧坊あぶらげ12_02 外はカリッと、中はモチッと。
これは酒が進むは。いけませんね。我慢してノンアルコールでやりました。ホイルを敷いてオーブンでちょい焦げ目を、家内に注文したので詳細はわかりません。だし醤油、生醤油、からし醤油を試しましたが、からし醤油、たまりませんね。
中尾商店 半僧坊あぶらあげ(写真もリンク先より拝借)

あ、そうそう。天狗について。
奥山方広寺のHPより、災難よけ、開運成就のご祈祷は奥山半僧坊大権現によりますと、

奥山方広寺の鎮守の神様、「奥山半僧坊大権現」。その縁起については次のような言い伝えがあります。

1) 方広寺の開祖である無文元選禅師が唐(現在の中国)より船に乗船して帰国の折、東シナ海において台風に遭遇されました。風は帆柱を折れよとばか りに吹き荒れ、雨は滝のごとく落ち、波は逆巻いて禅師がお乗りになっている船を今にも飲み込もうとする勢いでした。大きく揺れる船のなかで、禅師 は一心に観音経をおよみになっておられました。そこに法衣を着て袈裟をまとった、鼻が高く眼光鋭い一人の異人が現れて、「わたしは禅師が正法 を伝え弘められるために、無事に故国に送り申します」と叫び、船頭を指揮し、水夫を励まして無事に嵐の海を渡って博多の港に導いたのでした。そして、ここでお姿を消されたといわれます。

2)後年禅師が奥山の地に方広寺を開かれた時、再びその異人が姿を現し、「禅師の弟子にしていただきたい」と願い出ました。その際、禅師の「汝、半ば僧に似たる所あり」とのお言葉に「我は半僧なり」とご満悦の体で、自他共に「半僧」と称したのだそうです。弟子になることを許され、禅師の身の 回りにお仕えしながら修行に励んでおりましたが、禅師が亡くなられた後、「わたしはこの山を護り、このお寺を護り、世の人々の苦しみや災難を除き ましょう」と言って姿を消したそうです。

以来、この方広寺を護る鎮守さまとして祀られ、世の人々の苦しみや災難を除く権現さまとして、ご信仰を集 めています。 現在、毎年10月には御大祭がおこなわれております。


天狗と明示していないのが面白いですね。鼻が高い天狗は日に焼けた白人であるという説もあるし、一方、半分が僧形であるという外見と鋭い眼光は、義経主従の弁慶を想起させ、僧形のゲリラとも思えます。姿を隠すし。三遠南信の修験ネットワークど真ん中でもあり、民俗学の種が。

”半僧坊”の謂れでは天狗と明示されていないが、ご真体は僧侶型の天狗であると、奥山半僧坊大権現について説明がなされ、天狗一般の「空中から笛や太鼓が」とかの不思議があり、仏師の夢枕に「猿田彦のような姿である」と天狗のパブリックイメージで姿を伝えたり。段々にシンボルとして定着していった過程があるようです。江戸の太平は長かったという事か。

開山1371年かあ。建武の中興1334~応仁の乱1467の戦乱ど真ん中。天狗って何だろうかね。

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