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聴講してきましたよ > 古文書からみた静岡の地震・津波

古文書から見た静岡の
※ もう終わっています。

大人の読書活動推進事業「大人のたしなみセミナー」
「古文書からみた静岡の地震・津波」
 静岡県立中央図書館

 県教育委員会では「読書県しずおか」づくりを総合的に推進する中、「図書館講座」(大人のたしなみセミナー)を実施することで、大人の読書活動を推進します。
 今回は、著書「武士の家計簿」やBSプレミアム「英雄たちの選択」の司会で知られる磯田道史氏を迎え、地震・津波に関する講演会を開催します。


日時  平成26年9月20日(土) 午後2時~3時30分
会場  静岡文化芸術大学大講義室  (浜松市中区中央2丁目1-1)
講師  磯田 道史 氏 (静岡文化芸術大学教授)
定員  130人(先着順)   ※一般60人、高校生及び引率者70人
お問い合わせ先  県立中央図書館企画振興課企画係
○主 催 県教育委員会
○後 援 県図書館協会

 語り口も面白く、興味深い内容でした。日頃の報道発表で目新しい情報はありませんでしたが、中高生や一般聴講者に対する間口はこんなところでしょう。年表、古地図、地名、記録などから割り出される推計データと現代の諸案件とのすり合わせをして、まとまめて解説という貴重な講座でした。

拙ブログの以前の記事を補強するデータも嬉しく。

人は石垣、人は城 って言いますね 2013-06-23 より
安政地震石垣崩所絵図
「遠江国掛川城御天守台石垣土手崩所絵図」1枚、1855年(安政2年) 掛川市二の丸美術館蔵。
 二の丸美術館で複製を購入してありまして、解説をかいつまんで言いますと、

①天保2(1831)年 北東の石垣が崩壊している。
 この際の修理の記録は未発見ながら、応急の処置しかされなかったようである。

②嘉永4(1851)年 この図は、この年に崩落した石垣と芝土手の状況を幕府に報告した控え。
 
 ①②とも現在知られている資料において、地震風水害など石垣を崩すような大災害の記録はない。
 堅牢を誇る石垣がなぜ二度も崩壊したのか、今後の研究に期待する。

③嘉永7(1854)年 安政の大地震 天守台に大きな被害
 安政大地震における掛川の被災状況
                   ・・・・ここまで再掲・・・・・

歴史地震学では城の天守閣が崩落するのは震度7といわれる。安政地震での静岡県の太平洋沿岸の震度はおおよそ5~6だが、袋井掛川は震度7と突出。分布図と上掲の崩落記録は合致していますね。

安政地震之事
ついでに同上エントリから、、、、

嘉永七寅年 東海道筋 並びに 上方筋 大津波大地震之事 (各宿場の被災状況ダイジェスト)
くずし字解読講座 テキスト一覧(古文書解読) 静岡県立中央図書館
・・・ダメだ、どうしても読めない字は読めません。
舞阪・新居は大津波が猛威を振るい、人家を押し流し、富士川は山崩れ怪我死人多し、というような記事。火事については府中(静岡)が大火、ほか”出火”が、多し・あり・少しく、という区分けで表記。
掛川はとりわけ「〇〇人家皆つぶれ大火〇怪我死人多し」・・・〇は読めません
--------------------------------------------------------------------------------
ここまで再掲。ご近所に優れた先生がいらっしゃったので解読をお願いしようかしら。


その他、心しておくべきキーワードが何点かありました。

防潮堤は無いものとして逃げること。
押し込みの距離や時間を稼ぐものであって、津波を防ぐものではない。

津波には顔を浸けないように。あれは水ではなく砂。
ミキサー車でおぼれるようなもので、ご遺体からは口から大量の砂、肋骨は砕け。。。

押し波には逆らわず流れに乗って上に逃げることが出来る。引き波こそ気を付けて。

海抜5mのラインを知っておくこと。静岡市は巴川や安倍川など限られた部分で恵まれているが、浜松は浜から海抜5mラインが陸地へ深く広い。東海道が時代に連れて北へ移動していることからもうかがうべし。古代・中世・江戸時代のルート比較あり。

中高生も結構いましたので、彼らに。
大人の言う「想定」ってなんだ?君たちが地域を受け継いで災害に備える世代になっていく。現実を見ること。
現在使われなくなった(恥ずかしくて)浜松の想定浸水区域には、南区役所、西区役所新幹線以北だけ不自然に外してある。問い合わせとか仕事が増えるなど大人の事情もあり。ふふふ。現実を見なきゃあね。

特に熱がこもっていたように感じたのは、古くから伝わる地名の事か。
安政津波の静岡市の被害について、下島の長田家文書がある。
本村は下島村⇒ 字 大浜村 ⇒ 塩入田 (何回も波をかぶって塩が入った田んぼ)

南三陸防災庁舎の所在地 ⇒ 塩入

広島土砂災害 ⇒ 蛇落地

【先人の言い伝え】広島土砂災害地区は水害が多く、昔の地名は「八木蛇落地悪谷」(やぎじゃらくじあしだに)だった。
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学生時代、古代史や民俗学なんてを嗜んでおりまして、その頃の師匠にも「崩落地名・崩壊地名」などのキーワードと、地名の表記がどのように変わっていくものか、家を建てるなら慎重にと言われておりました。宅地開発業者が、許可した行政が、等々、事後に解説することはできるでしょうが、一生モノの買い物ならば災害に対しては「古くからの地名」を、公害ならば「平日の環境を」、それぞれ確認しておくことでしょう。業者も行政も「地盤改良」とか「強度計算」とか一式の事はしてあるはずですから。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ(ビスマルク)ってこった。

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