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記録;国指定史跡になると違うなあ

浜北の集い-001


  これまで近代建築の文化遺産についてあれこれ取り上げてきましたが、ここのところは解体撤去が市議会を可決してから発表され、急ピッチで起こった保存運動を取り上げています。先週予告として取り上げた 浜松市浜北区「森岡の家」 の件。フォーラムを拝聴してきました。

 急場で一週間の告知期間しか取れなかったそうですが、100人以上のかたが参列し、主催者側が驚き喜んでいました。来場者の中に公文書をデジタル化して納品されている方から挙手があり、市の生涯学習部門?かな、屋敷の設計図などデータ化して納品したから、問い合わせしてみたらどうだろうかとサジェスチョン。色々と貴重な情報が飛び交いました。

 上掲記事にあるように、文化財、地史、人物像、都市計画まで広範な研究の成果に感心しきり。これらを踏まえた利活用で街が活性化されると良いですね。ひとまずの解体ストップとともに”市民協働”として利活用計画をゆだねられた感じでしょうか。
文化財建築をあれこれ取り上げてきたと言いましたが、今回もご活躍の静岡県建築士会さんがここのところ大きく寄与してきたものでも、 浜松市旧住吉ポンプ場  浜松市鴨江別館 可睡斎護国塔 などなど。すっかり門前の小僧になった感あり。

 それらと一線を画してといっては失礼かもしれませんが、昭和44年に文化財保護法による国指定史跡となった磐田市旧見附学校(明治8年)の昭和52年に竣工した修理工事報告書を入手しましたので、国・県の補助で8000万(当時)の調査・修復の記録を。
見附 小学校


以下 「国指定史跡 旧見附学校校舎修理工事報告書」 昭和52年 財団法人文化財建造物保存技術協会 編
発行 磐田市 より
旧見附学校修理報告-001 校舎北面 上;竣工 下;修理前

各種文献、当時の工事写真!と詳細な現状調査により、完全に解体してから同じものを建築。上の比較の通り、修理前は大きく窓を撮っていますが、建築当初の姿に復元したそうです。

旧見附学校修理報告-002 旧見附学校修理報告-003
平面図 下から1階2階3回 左が調査時の間仕切り 右が復元されたもの。

旧見附学校修理報告-004
校舎西側 左が竣工 右が修理前 窓が開けられて漆喰になっていますね。
「外壁4面の木摺大壁と、生子鉄板張壁を、瓦張り下地の大壁に復し、1.2.3階とトウオク上部の四隅を黒色擬石積塗に改める」(変更の要旨7)だそうです。

旧見附学校修理報告-005 旧見附学校修理報告-006
左 2階内部 右 3階内部 上が竣工 下が修理前

旧見附学校修理報告-007  
現状変更資料 左が明治8年建設時  右は大正13年 窓が3連窓にされた以前の写真

旧見附学校修理報告-008
現状調査 間仕切りの痕跡や腐食具合など

旧見附学校修理報告-009 防災屋として注目
第三章 実施仕様 第三節 組立工事 八、雑工事 ④自動火災報知設備
「従来通りの復旧を行い施工にあたっては仕様書および消防法に基づいて実施、空気管および分布式感知器等には第三種設置工事を行った。」
矢印は上から電鈴、表示灯、分布型感知器、発信機。空気管は寺社仏閣や旅館の和室とか内装の美観上で目立たせたくない場合によく使われてましたね。


旧見附学校修理報告-010 明治8年の棟札
第五節 銘文その他資料として、明治8年1月12日の日記から上棟式の見物に行った様子とか、明治16年 3回増築に関する仕様書とか棟札の表に教育関連の組織と裏面の大工組織など。
「明治4年に文部省設置、翌5年に学制が敷かれ、我が国近代学校制度が。見附学校は明治6年8月創立。浜松県第十二番中学区第一番小学校として明治7年正月早々町民協議の上、新築することで一致(その間はお寺さんで)。
当時近村の「坊中」学校は既に建設中、西ノ島学校も工事計画中であり、三学校の洋風校舎の新築競争が始まった。見附学校では他の二校を凌駕するものを建てるべく施工棟梁の人選について、折よく見付町の神社の仕事で来ていた名古屋の堂宮棟梁伊藤平右衛門が推挙された。平右衛門は代々尾張徳川家の御被官大工の家柄で格も腕も二校の棟梁と較べ段差の優れた大工匠で云々。。。。
平右衛門は仕事には凝る性質であったから、東京横浜の洋風建築を調査研究し自分なりの工夫を重ね案を練り設計し、敷地の選定については建物をいやがうえにも高く立派に望み見られるよう町の街道筋より一段高い淡海国魂神社境内の街道に面した凸端に、街並みの方に出張り遠州横須賀城の石垣石を持って基壇積みを計画した。以上のことから工事は遅れたが。。。明治9年に第二期工事として東側へ40坪平屋の増築、明治16年には尚校舎狭隘となり、第三期工事として現建物のトウオクは現状のままとして二階上へ三階増築に着工し、、、二層の塔屋とあわせて五階になった。この建物が町の人々は自慢で見附の五階と愛称されてきた。」建設沿革より、思った以上に文才のある沿革で長々と引用してしまった。

旧見附学校修理報告-011
修理したうえで図面化と各種資料が揃いましたので、また100年後に復元できますね。
さらにやんごとない資料を入手してね。記録とか技術の継承とか、重要性を再認識しています。

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内容(「MARC」データベースより)
明治期から昭和20年にかけ、皇居、迎賓館赤坂離宮など、数々の皇室建築を手がけた宮内省内匠寮。これまであまり知られることのなかった内匠寮の仕事と人物を、初公開の貴重な史料や図版と共に紹介する。


森岡の家の続報は こちら

見附学校の現在の写真はこちら (3/28夕方 予定)

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