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第一銀行 定礎の中の震災復興 

 D1本店外観

 本稿はシリーズとして何回かに分けてます。写真が多いので。上は株式会社第一銀行本店、昭和5年移転新築時の写真です。以下、本稿出典は特筆が無い限り、「株式会社第一銀行」竣工記念写真集S5年(非売品)から。

 本ブログの防災カテゴリで、関東大震災復興の特集として、其の他、明治経済を牽引した偉人としてよく取り上げています、澁澤栄一子爵の事跡ではありますが、単純に近現代建築史として写真を楽しみたいので、本稿や最終稿(3~5回目かな)で多少の解説をはさむと思いますが、建築物が好きな人はお付き合い願います。
D1澁澤子爵 ㈱第一銀行相談役 子爵 澁澤栄一


 まずは第一銀行の歴史に多少解説が必要でしょう。その天守閣のような明治6年創立時の雄姿とともにスタートしましょう。それでは。
D1国立本店
 第一銀行の前身 第一国立銀行、ね、城郭のようです。日本橋兜町のランドマークでした。

・我国最初の銀行(明治六年六月設立) 首唱 渋沢子爵
・国立銀行とは明治初年、政府が金融の流通と政府紙幣の償却のためにとを図る為に創立
 第一国立銀行は、その名の通り最初の銀行。日本銀行が出来る前の紙幣発行、大蔵省其の他
 官金出納事務、各地銀行への送金・荷為替取引。
・明治35年、日本銀行が唯一の中央銀行となり、第一銀行と改称。一部の使命を終えたが、
 商業銀行として専念。

D1M35本店
明治35年の本店とありますが、本文記事では天守閣に隣接した、別館とされています。

 そして大正12年 関東大震災 

 本店の移転という章がありますので、かいつまんで。
・大震災の際、本店及び市内5支店とも建物の一部が類焼、暫らく丸の内の仮営業所にて
 復興に尽力
・翌T13・4月本店修理とともに再び兜町本店にて営業。
・・・・時勢の進歩に順応して益々金融機関としての職責を尽くしつつあります。然るに、
 行運の進展に伴い、今日迄の営業所では狭隘を告げるようになりましたので
、、、
 (このあたりの表現が好きなので、抜き出しました。なんか味があります。)
・大正13年に敷地を購入、2年10ヶ月を費やし竣工。
・従来の店舗は兜町支店として存置。

・・・本行としては思い出の多い海運橋の畔(ほとり)を去り、、、
・・・本行は今後益々財界のために力を尽くし、国恩の萬分の一に報いようと期して居りますゆえ、相変わらずのご愛顧をお願い申し上げます。
勿論、旧字旧仮名遣いです。かっこいいですね。ビジネス文書でも、このように味のある文章が書きたいものです。
(一冊とおして、社史社名であり執筆者名はありませんが、総務職幹部の筆でしょうか)

 そして、最期に定礎式の写真。次回より建設風景、内装、バックヤードの写真をUPしていきます。

 D1定礎
写真上、左が澁澤相談役、右が頭取佐々木勇之助
中段、定礎式にて渋沢子爵使用の鏝(こて)
下段、定礎式銘 以下全文(誤読はご容赦)

株式会社第一銀行は本店建築の為の地を東京市麹町区丸の内一丁目一番地に卜し昭和三年一月十六日 工を起こし今や其の基礎 成るをも以て本日の吉辰に方り茲に永世不朽の柱礎を建立す 顧れば本行の前身たる第一国立銀行は明治六年七月二十日 東京市日本橋区兜町一番地に開業し明治二十九年九月二十五日営業満期となるや本行其の業務を継承し以て今日に及びたるも大正十二年九月大震災の後 地勢の推移に鑑み此の地を買得し以て本行永久の本拠と為す 願わくは柱礎の堅牢と共に行運の無窮に繁栄せんことを願いて之を銀板に録しここに之を蔵む
昭和四年(紀元二千五百八十九年)六月二十二日
 株式会社第一勧業銀行頭取 佐々木勇之助



5/27追記、書き忘れましたが、関連エントリ震災復興と宝くじ、公営ギャンブル
※ゆくゆく第一銀行と合併する日本勧業銀行と震災復興についての考察です。明治日本の経済的な後ろ盾として、両行の役割と違いが分かると思います。

テーマ : 建築遺産から現代建築
ジャンル : 写真

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