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第一銀行 その2 建築風景

 D1鉄骨並びに石積工事
 鉄骨並びに石積み工事の風景です。

 というわけで、その2。伸びるクレーンも景気良く。
 どうでしょう、何ともいえない威容を感じませんか。

 
 D1地鎮祭敷地全景 ←地鎮祭の敷地全景

 D1基礎工事 ←基礎工事

D1基礎鉄筋組立 ←基礎配筋

 以上、建築風景でした。美観、其の他は色々好みがあるところですが、戦前の建築物は重厚な外観通り、堅牢でもあります。
2009年4月、重要文化財指定に  - 日本橋高島屋 -open! architecture-建築のまち・東京を開放する- 様HPより
「open! architectureの見学でご協力をいただいている同店が、今年、百貨店建築としては初の重要文化財指定となりました。 

日本橋高島屋は、高橋貞太郎設計により1933年に日本生命館として造られた西洋様式と日本様式が絶妙に織り交ぜられた「和洋折衷」の建物です。
外観は、一見西洋様式ですが、庇は日本の寺社仏閣に見られる垂木が施されていたり、内部は、イタリアの天然大理石の壮麗な柱や階段が醸し出す西洋の空間に、和の格天井を取り入れたモダンな天井など、洋の中で「和」を探すという面白さがあります  以下略、」引用終わり
 1933年は昭和8年なので、本稿のような建築風景だったと思います。建材が変わり、重機や工具も進歩し、工期の短縮、画期的な工法が、、、と建設業界の進歩も著しいのですが、大規模現場の風景はそれ程かわらないように見えます(実際に凄い進歩が多々あるのですが)。

 施主側の意識の差もあるのかと思います。100年の耐久性でも、500年、1000年だろうと、建設市場がスクラップ&ビルドでは、、、おっと、建築ラッシュを待ち望む工事屋としては景気回復を期待してますので。 

 日本建築技術の堅牢性について、下記の話題が印象に残ります。長めの引用ですが、ちょっと背筋が伸びるような気がします。是非リンク先で全文を噛み締めていただきたいと思います。
首相、タシケントの日本人抑留者慰霊碑に献花
 タシケント市内の日本人死亡者慰霊碑を訪れ手を合わせる小泉首相。左後方は日本人抑留者記念碑=30日午前(共同)

 【タシケント=高木桂一】ウズベキスタンを訪問した小泉純一郎首相は30日午前(日本時間同日午後)、タシケント市内にある「日本人死亡者慰霊碑」と「日本人抑留者記念碑」に訪れ、献花した。
 第二次大戦後、シベリアからウズベクに約25000人の日本人が強制移送され、過酷な労働を強いられた。このうち帰国の夢かなわず死亡した813人が国内10カ所に埋葬されている。首相が足を運んだ慰霊碑はそのひとつ。
 これに先立ち首相は、日本人抑留者が建設した「ナボイ劇場」に立ち寄り、先人たちの「遺産」に目を細めた。(08/30 20:22)

~中略~

日本人抑留者が遺したウズベキスタンとの友好の絆 伊勢雅臣

 ウズベキスタン共和国の首都タシケントにある国立ナボイ劇場は、レンガ造りの三階建て観客席1400の建物で、市中心部の代表的建造物として威容を誇っている。

 この劇場正面には、「1945年から46年にかけて極東から強制移住させられた数百人の日本人がこの劇場の建設に参加し、その完成に貢献した」とウズベク語、日本語、英語で表記されたプレートが設置されている。

 ウズベキスタンには大戦後、ソ連によって約2万5千人の日本人抑留者が移送され、水力発電所や運河、道路などの建設にあたった。中山恭子元駐ウズベク大使は在任中に、いまも国民に電気を供給している水力発電所の建設を仕切った元現場監督に会った。この人物は、まじめに、そして懸命に汗を流していた日本人抑留者たちの思い出を涙ながらに語ったという。

 捕虜の境遇にあっても勤勉に働く日本人抑留者は、当時の地元民に敬意を表された。現地の人は、「絶対に帰れる」と励ましながら、黒パンを握らせてくれたという。
 日本人抑留者が現地に残した遺産のシンボルが、約500人の抑留者によって2年がかりで建設したナボイ劇場なのである。レンガ製造から館内の装飾、彫刻まで抑留者が行った。

 66年の大地震でタシケント市内の多くの建造物が倒壊した際も、この劇場はビクともせず、「日本人の建物は堅固だ」「日本人の建築技術は高い」という評価が定着した。そのためか親日感情が強い中央アジア諸国の中でもウズベキスタンの日本人への好感度は飛び抜けている、という。

 1991年に旧ソ連から独立して新国家建設を進めるウズベキスタンは、カリモフ大統領をはじめに日本の明治維新や戦後復興をモデルとして「日本に見習え」を合言葉にしている。

 劇場前のプレートの表記についてはカリモフ大統領が「決して日本人捕虜と表記するな。日本とウズベキスタンは一度も戦争していない」と厳命したそうである。

 2万人の抑留者のうち、800人以上が現地で死亡し、各地の墓地に埋葬されたが、その多くは荒れ放題となった。しかし、元抑留者たちが中心となって募金活動を行い、ウズベキスタン政府の協力も得て、日本人墓地が整備された。また「日本に帰ってもう一度、花見がしたかった」と言い残して亡くなった抑留者のために日本からサクラの苗木千三百本が送られた。整備の発起人の一人、中山成彬衆院議員は「両国友好の証しになってほしい」と話している。

 過酷な環境の中で祖国帰還を夢見ながらも、勤勉に働いて、ウズベキスタンと日本との友好の絆(きずな)を残してくれた抑留者の御霊に感謝と追悼の意を捧げたい。

以上引用終わり


 プーチン大統領来日もあり、北方領土について、また平和条約の締結についてもHOTな話題だと思います。このウズベキスタンとの友好も、対ロシア外交の話題では基礎知識として押さえておくべきことだと思います。我々が享受する現代のになられた英霊。広くアジアで戦後処理が未だ進行形であり、終わらない先輩世代がいらっしゃいます。ですが、政府も我々国民の後押しが無ければ処理予算も削減傾向になろうし、弱腰外交にもなるでしょう。外務省を批判するより、我々の無関心が原因のような気がしています。興味を持って知っていく、我々の代弁者である代議士に伝えていくことが後押しになるのだと思います。本日の党首会談、感じるところはあったでしょうか。

 あれ、本シリーズは写真ばっかりの楽な進行の予定でしたが、ふむ。次回はさっぱり行きます。

関連エントリ 
第一銀行 定礎の中の震災復興 

テーマ : 建築遺産から現代建築
ジャンル : 写真

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